20年前、2002年のチェンナイ


20年前、2002年の動画が出てきたので編集してみました。
あの頃、インドの乗用車の大半がSUZUKIのスイフトになるなんて思いもしなかった。
ずーっとアンバサダーが走るんだろうくらいに思ってた。

今となってはアンバサダーが街を走る光景はコルカタを除いて貴重です。
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20年でインドの何が変わった?


20年ですからそりゃあたくさん色々変わってるんだと思います。
旅行者としての狭い目線で感じる事と言えば

・男はほとんどスラックスだった➡今はぴっちりのスキニージーンズ

・カメラ持ってると「撮って撮って」と騒がれた➡自分のスマホでセルフィに忙しいからカメラ持ってても騒がれなくなった

・駅や空港のタクシーの大半がアンバサダー➡アンバサダーは皆無(コルカタ除く)

そんな感じですかね。

20年経っても道路の騒音、クラクションは同じですが。

ローカルバスもそんなに変わってない印象。
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スペンサープラザもネットで見る限り外観に大きな変化は無いように思いました。

当時のガイドブックに両替所とかスーパーマーケットがあると載ってたので旅行者は行った人もいるのではないでしょうか。

メーター料金性のオートリキシャー


当時、オートリキシャーに料金メーターがついている事は半々くらいの割合であったと記憶しています。
だけど実際にメーターで走ってくれるのはバンガロールを除いて皆無でした。

当時のチェンナイではインドの人はメーターよりも安い料金になるように交渉をしてました。
ドライバーが「メーターだと60ルピーだ、だから50ルピーなら悪くないだろう」なんて話しをしてて実際にメーターを倒して走ったら60ルピーとなり、連れのインド人が渋々50ルピーを払うなんてこともありました。

だけどタミル語ができない僕一人のときは、いかにメーター料金に近づけるか、あるいはメーター料金で走ってもらうのがやっとでした。

この時もスペンサープラザからブロードウェイバススタンドまでオートリキシャーを利用した際に珍しくメーター料金で乗せてくれるドライバーに遭遇し、そのメーターを撮ってました。
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0.2ルピー毎にメーターが上がるのが動画には映っています。

昔は復路の航空便に乗るときはリコンファームというのがあった


この頃はまだリコンファームがありました。僕はいつもバンコクで日本往復とインド往復の1年オープン航空券を買ってましたが、復路については電話で予約をして、さらに登場日の72時間前までにリコンファームが必要でした。
それまでにリコンファームをしたのに空港に行ったら2度も「満席だ」と言われひと悶着があったので(2回ともチェンナイ空港)、この時は航空会社まで行きました。

今で言うところのオンラインチェックインですかね。でも電話でしただけだと証拠が残らない。だから航空会社まで直接出向いて航空券に「リコンファーム済」の証拠のシールをもらいに行ったわけです。
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チェンナイ空港も2002年はこんな感じです。出発ロビーに入るゲートは一箇所のみ。国際線の便数はまばらで、中に入ると小さな免税の売店が2つほどのガランとした空港でした。

そんな2002年のチェンナイの道路、ヒンドゥスタン・アンバサダーが走っている光景は下記の動画に公開しました(^^)


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